Even after the Christmas


「やってらんねぇー・・・」

ふう、と大きくため息をついてから煙草に火を点けた。
ZIPPOオイル独特の香りも風に飛ばされてあっという間に消えた。
再び、ため息と同時に紫煙を吐き出す。
その紫煙も一瞬だけ勇次の上半身を包んだかと思った瞬間から風に流されて闇に消えていった。
通り過ぎる強く冷たい風に体を預けていたい。そんな気分だった。


彼がやってられないとぼやいたのはその日の昼に発見された管轄内のホテルの一室で起きた心中事件であった。
一組の男女が互いの小指に赤い毛糸を巻きつけて死んでいた。

『このまま結ばれないのなら、聖なる夜に天国へいきます』

遺書に短くそう書き残され、2人の署名があった。
死因は毒死。青酸カリの入ったシャンパングラスが2つと飲みかけのシャンパンが現場に残されており、検死の結果も致死量を超える量のそれが検出された。
どちらかの一方的な無理心中ならばほんの少しだけ入れて味に変わりが出ないようにする。
しかし両方のグラスに風味も何も変わってしまう程の量が入っていた。
肝心の青酸カリはネットで購入したもののようだ。

互いの小指を結んで、猛毒に苦しみながらも抱き合って死んでいた男女を見て勇次はため息しか出なかった。

―――自殺で、天国に行けるのか?

無宗教派な勇次でもそんな感想を抱いた。
いずれにしても悲しい現場だった。

心中の理由は家柄やら学歴やらで結婚を激しく反対されていた、というのが裏付けされた。
そういった裏付け捜査でもうんざりさせられた。

街は普段以上に明るくイルミネーションが輝き、カップル達が楽しそうに歩く中、何が悲しくてこんな事件の裏付けをやっているのだろうかと途中何度も凹み、機嫌も悪くなっていく。
一緒に捜査に出た透にもその雰囲気が解って移動中の車内は猛烈に空気が重かった。
透もまた同じ気持ちではあったし、最近できた彼女にも「クリスマスなのに一緒にいれないなんて」とかなり機嫌を損ねられてしまった。
刑事の仕事というものを理解できないのであれば、別れるのも時間の問題だろう。

クリスマスだろうと正月だろうと事件は待ってくれない。
警察官に年中行事は無い。
特に大きな観光スポットを管内にもつ港署は他の署からの応援で何とかそれらの警備に対応している。
忘年会等も集中して小さないざこざも絶えない。
憂鬱な気分で報告書を纏めている最中にも酔っ払いによる喧嘩の通報が入り「もう勘弁してくれよー」と嘆きながら透が駆け足で署を出て行った。

ある意味自分達のエゴで息子と娘を亡くした互いの両親の罵倒を仲裁し、あまりにも勝手な言い分にキレかけながらもある程度まで書類を纏めたが、ここ数日間走り回って、尚且つこの事件。
毎年忙しいのは変わらないがいい加減今回は神経がすり減ってしまった。



12月25日深夜。吸い殻を屋上の隅に設置された灰皿に入れて、新しく煙草を出して再び火を点けた。
あとちょっとで報告書関連は完成するし、早々に出してしまわないと課長が怒るだろうが、すっかりやる気を失ってこうして屋上まで逃げてきた。
冷たい風に当たって気持ちを切り替えようとするが、その冷たさに頭も冴えてしまって色々と考え込んでしまって余計にモヤモヤしてしまう結果を招いてしまった。

ライトアップされているみなとみらいを見ながら何となく、人肌恋しいと思ってしまう。
だが年中行事に合わせての恋人なんて願い下げだ。
こういう時に嫌な顔もせず愚痴を聞いてくれて、自分でも嫌になってしまう自分を優しく包んでくれるような女性。
精神的にも肉体的にも疲れた自分を癒してくれる女性。
自分の仕事を理解してくれて、それでも優しく自分を支えてくれる女性。

―――そんな都合のいい女がいるわけない

フッとそんな妄想を鼻で笑って、またため息。
時々刑事なんて職業を選んだのか解らなくなる。
誰の為なのか、何の為なのか。
決して中途半端な気持ちでこの職業を選んだのではない。信念はあった。
しかし365日、毎日こんな悩みが付き纏うわけではないがさすがに今回は疲れてしまった。
また漏れるため息。
軽く目を閉じてぼうっとしていたところに後頭部にコツン、と固い何かが軽く当たった。

「何黄昏てるんだよ、ユウジ」

振り向くとそこにはおおよそ黄昏ている理由に検討がついているであろう相棒が苦笑いしながら暖かい缶コーヒーを片手に立っていた。

「なんだよタカ〜。いちいち嫌味なヤツだなお前は。放っておいてくれよ」

軽く唇を尖らせながら吸い殻を再び灰皿に少々乱暴に捨てて新しく煙草を取り出した。

「いつも以上に不機嫌だな。ホレ、これでも飲んで少し落ち着けよ」
「うるせえ、放っておけって言ってんだろ!」

相棒である敏樹から差し出された手を振り払って再び背を向けた。

―――こりゃ相当機嫌が悪い

一瞬困った表情をしたが幸い勇次に見られることは無く軽くため息を吐いた。
勇次は何だか敏樹に何でも見透かされているような気がして余計に癪に触ってしまったのだ。
こんな態度をしていれば見透かされるも何もないのだが―――。

「・・・・素直じゃねえなぁ」

苦笑いを浮かべながら煙草に火を点けた。
ZIPPOとは違う独特の燐の香りと木が燃える香りが一瞬だけ漂って闇に溶けていく。
勇次とは逆に柵に背を預けて夜景から目を逸らした。
敏樹もあのライトアップされたいつもの街が嫌いだった。
毎年あの夜景は眩しすぎるのだ。クリスマスにいい思い出はない。

ここ数年過ごしているのはいつもこの場所、このメンツ。さらに今年はとんでもないプレゼントを貰ってしまった。
銀星会の鉄砲玉を追いかけている時に不意を突かれてナイフで左手の甲を切られてしまった。
切れ味もよくスパッと見事に切れてくれたが傷は浅く、時間をかければ痕も残らないだろうという医師の見立てだがあんな相手にこんな手傷を負わされたことが屈辱的でもあり、思い出しただけでもズキズキと少しだけ痛む。
ポケットに包帯で包まれた左手を隠すように入れているが隠しきれていない白いそれが目立つ。

「お前にしちゃドジったもんだな。・・・・・痛むのか?ソレ」

まだ少しだけ唇を尖がらせていた勇次が夜風にかき消えそうな小さな声で呟く。
勇次は勇次なりに敏樹の事を心配していた。が、素直になれなくて皮肉めいた事も口から出てしまう。
問われた本人は皮肉にも耳を貸さず、目線だけを少し動かしてフッと笑い「別に」の一言で済ませた。
少しだけ気まずい空気が包む中、勇次は敏樹に向けてひょいと手を挙げた。

「くれよ、コーヒー」

一度乱暴ではないにしても振り払ったのにぶっきらぼうだったとは思う。が、敏樹は気にすることなく先程渡し損ねた缶コーヒーを手渡す。
少し温くなってしまったがこの寒空の中では丁度いい。
缶の温かさで冷えた手を温めながら、今度はそれにほっとしたため息が出た。

「そっちは事件性無かったのか?」

唐突に質問されて、またあの遺族のやり取りを思い出す。

―――このタイミングで聞くなよなー・・・

そう思いながらも誰かにこの鬱憤を吐き出したいという思いが優先した。

「無いね。あれだけ毒物入れればシャンパンの味だって変っちまう。筆跡鑑定も本人たちの物って確認できたし、裏も取れた」

敏樹は一言「そうか」とだけ呟いた。
しばらく沈黙が続く。その沈黙に耐えられなくなって勇次がポソリと呟いた。

「・・・なあ、自殺してあの世に行って、あの二人は幸せになれんのかな?」

一応敏樹に問いかけたつもりだったが、それはまるで独り言のようにか細い声だった。
また悪い癖が出たのか、それとも本気の問いなのか。
純粋に後者について聞きたいのだろうと思い自分の考えを口にすることにした。

「さあな。あの世なんてものがあるかどうか、死んだ事無いから解らん。それに・・・」
「それに?」
「死んじまう前にやれる事、まだいくらでもあったんじゃないのか?」

勇次も敏樹と同意見だった。
死ぬ気になれば二人で駆け落ちでもなんでもすればよかったのではないだろうか。
けれどもそれすら許されず、互いに愛し合ったのに共に人生を歩む事すら反対されてしまったら、絶望しか残らなかったのだろうか。

「どうせお前は『自分ならこうする』みたいな事考えて思考がループしてるんだろ?」
「・・・なんだよソレ」

思い切り図星だったので誤魔化すつもりで否定とも肯定とも取れないような返事をしてしまったが、明らかに少し動揺していたために墓穴を掘ってしまった気分になった。
敏樹は少し呆れながらも、ただ自分には無い「被害者を思いやれる心」が少しだけ羨ましく感じる。
自分が担当していたらきっとただの自殺と見てそれでおしまい。
こうしてそれに至った経緯を考えてくれる人間が一人でもいればその魂は報われるのかもしれない。
だがいつまでも引き摺る訳にはいかない。
大なり小なり事件はいつ起きるかわからない。
この相棒は余計な事を気にし過ぎて危なっかしいというのをよく知っている。

「本人達が悩んだ末に出した結果だ。残された者にしてみりゃたまらん結果だが、本人達が納得して選んだんだ。オレ達がどうこう言える立場じゃない」

もちろん自死というものを肯定する気はないが、本当にそう決意してしまった者達はどんな言葉も届かない。
残されたものに残る痛みは敏樹もよく知っていた。
情けない話だが、彼等をこの世に繋ぎ止めるだけの言葉を持っていない。
もどかしくもあるが、仕方がない事なのだ。

勇次にも敏樹のその言葉の意味が伝わったのか、また俯いてコーヒーを一気に飲み干した。
少しだけ甘く、苦いそれはループしていた思考を少しリセットしてくれる。
いや、リセットをしてくれたのは言葉をくれた相棒のおかげなのが大きいだろう。

こうして互いの得手不得手を補いながら歩む人生も、悪くない。
自分には無い、人を思いやれる優しさ。

己の闇に踏み込んできた時に、辛い時に救われたそれは今でも忘れることはできない。
一生出会えるかどうか解らないような人間。
少しは見習いたいとは思うが、稀に悩みすぎるその性分を自分のようにさっさと吹っ切ってもらいたい時もある。

―――そういうのがあるからこそ、面白いんだ、コイツは



西の空が徐々に白んできた。
聖なる夜ももう終わり。
だが年末年始の特別警戒態勢は終わらない。

「タヌキが出勤してきて報告書が提出されてなかったらまた血圧上げる原因になるぞ」

手に取るように解る情景を想像しながらククッと笑う敏樹に勇次は缶を投げた。
放物線を描くように飛ぶ缶は敏樹の横をすり抜けて見事ゴミ箱にホールインワンを決めた。

「わーってるよ。報告書あげなきゃ寝れもしねえ」
「・・・お疲れ」
「おう、お疲れ」

そのまま敏樹は屋上から去った。

「・・・アイツ、何しに来たんだ?まさか・・・励ましに?・・・・な訳無いか」

再び冷たい風が体を通り過ぎていく。
彼等の毎年波乱に満ちたクリスマスはこうして終わっていった。