In The Rain side-T


―――ついてない・・・

突然バケツをひっくり返したような通り雨に敏樹はズブ濡れになりながらも何とか雨宿りが出来そうなところを見つけてため息を吐く。

最近多発している悪質な引ったくり事件の車当たり中だった。
女性や老人を狙い、50ccスクーターで近付き、ナイフで腕や顔を切りつけてから荷物を奪う。
被害に遭った女性たちの傷は、かなり深く切り付けられて痕が残るような傷が多かった。
昨日は敏樹の目の前で女性が襲われた。
仕事帰りだったために銃を携帯していなかったために仕留め損ねてしまった。
いずれにしても突然の事だったので反応がかなり遅れてしまったのもあったが・・・。
車種は解ったがナンバーは案の定跳ね上げ仕様。大分出回っている車種なので特定も難しい。
何よりも被害に遭った女性の傷が酷く、車種を駆けつけた制服警官に伝えて女性の怪我の介抱をしていた。
引ったくり自体はよくある犯罪だったが、自分の目の前で悠然と逃げて行ったソイツを許す事が出来ず、こうして積極的に車当たりをしている最中だった。

朝から快晴だった空は徐々に暗くなっていき、丁度昼頃には見事に真っ黒い雲に覆われた。
降り出しそう、と思った瞬間、ポツン、と大きな雨粒が目の前を通り過ぎて地面に大きな雨跡を付ける。
それがいくつも増えていき、あっという間にこの様だ。
朝のニュースでも新聞にも傘マークはついていなかった。

「今日も一日快晴でしょう」

にこやかにそういったお天気レポーターの女性の顔が今は憎らしく思える。
しかし遠く西の空は明るい。
恐らく小一時間もすれば止むだろう。
ハンカチを取り出してとりあえず軽く顔や肩口を拭く。

このまま犯行が続けば警察の面子に関わる、と言われたがそんな事はどうでもいい。
くだらない面子など犬にでも食わせてしまえ。
それよりも自分の目の前で被害者が出た、と言うのが許せなかったのだ。
それでこうして車当たりを続けていた訳だが・・・。

自然と空を眺めてしまう。
ざあざあと降り続く雨に再びため息を吐いた。
だがそうしていても仕方がない。
ポケットから煙草を取り出す。
幸い駆け込んだ先は古い煙草屋らしく、、すぐ横に古びた灰皿があった。
どうも今日は休業日らしいが、灰皿の中は綺麗だった。
随分年季の入った灰皿だったが、恐らくは毎日店主が掃除をしているのだろう。
閉じられたシャッターに背を預けて吸い込む。
目を閉じると雨の音しか聞こえない。
風が無い事が幸いだった。身体がそれ以上冷えなくて済む。

しばらくそうして雨音を楽しんでいた、その時だった。
なにやら足元に、モゾモゾッとした違和感を感じた。
不思議に思い足元を見るが、何もない。
気のせいか・・・と思うと、両足の靴の隙間から何かが出てきた。

「にいぃぃーー」

甲高い声鳴いて、それは敏樹を見上げた。
茶トラ柄の子猫だった。
機嫌がいいのか、ずっと敏樹の足に頭を擦り付けている。
普段あまりこうして猫を見る事も少ないが、かなり小さい猫だった。
捨て子なのか、それとも親とはぐれてしまったのか・・・。
生憎動物を飼ったことの無い敏樹にはどうすればいいのか解らない。
煙草を灰皿に入れて、しばらくその行動を観察した。
足元をまるで「8の字」を描くように周り、ずっと頭を擦り付けてくる。
だが雨でびしょ濡れになっていた。
敏樹以上にびしょ濡れになったその子猫を思わず抱き上げてしまった。
両手の平にぴったりと収まる程の小さな子猫は、暴れる事も無く再び敏樹の顔を見上げ、

「みぃぃーーー!!」

と、甲高く鳴くと自身の手足等を舐め始めた。
なにやらゴロゴロ〜という音も聞こえ、振動が手のひらから伝わってきた。

―――なんだ、この音・・・

身体全体を舐め終えると、今度は両前足を敏樹の手のひらに交互に押し付けてきた。
まるで足踏みをするように、ぐいぐいっと。
押される度に小さく鋭い爪が少し刺さるが、それほど痛くは感じない。
その最中もゴロゴロ、と喉を鳴らしている。
しかし濡れていたためにすっかり身体は冷え切ってしまっている。
普段なら気にも留めないような小さな存在だったが、何故か放っておくこともできずに少々困ってしまった。
仕方なくハンカチで軽くその身体を拭いてやってからジャケットとシャツの間にその子猫を抱くように入れてやると、喉を鳴らす振動が伝わってくる。
徐々に雨に濡れて冷たかった子猫の方が体温が高くなってくる。
だが、次第にその振動も伝わってこなくなった。
少し不安になってそっと覗くと、すやすやと眠ってしまっていた。
たまにその長い耳をピクンピクンと動かし、安心しきっているのかぐっすり眠ってしまっている。
その姿に思わず敏樹はドキッとしてしまった。

―――・・・滅茶苦茶可愛い・・・

しかしこんな職業に就いている限り、動物を飼う事はできない。
だからといってこんなにぐっすり眠っているその子を放り出すこともできない。
正直困ってしまったのと、こうして眠っている子猫の姿に癒されつつもある。不思議な感覚。

ふと見ると雨は止みかけ、空は明るくなってきている。
案の定通り雨だったようで、予想通り小一時間で止んだ。
これからまた車当たりに行きたいが、「荷物」が出来てしまった。

―――さて、困った・・・どうしようか

悩んでいる敏樹の前に一台の車が停まった。

「なーに難しい顔してるんだよ、タカ」

ウィンドウを下げながら声を掛けてきたのは相棒の勇次だった。
二手に分かれて車当たりをしていたが、雨が降ってきたので車に避難していたらしい。

「ちょっと、困っててさ・・・」

小さな声でそっと子猫を見せた。

「おお、可愛いなぁ〜。でもどうしたんだよこの仔」

相変わらず、すやすやと眠るその子猫を見て思わず勇次も目尻が下がる。

「ここで雨宿りしてたらナンパされた。で、この様だ。どうすればいいか解らん・・・」
「なんだよ、お前興味無いクセに妙に動物に好かれるな。いいなー」

勇次が少し拗ねた表情を見せる。
というのも、以前事件があった時に警察犬が捜査に導入され、その際妙に敏樹に懐いたのだ。
どちらかというと勇次の方が動物好きだっただけにその懐きっぷりに少々妬いた思い出がある。

「・・・とりあえずさ、保護しちまったもんはしょうがねえから、署に戻ろうぜ。お前も少し服乾かした方がいい」

言われるままに車に乗り込んで静かにドアを閉める。
相変わらず子猫は敏樹に抱かれたままぐっすりと眠っている。
その温もりに、敏樹も悪い気はしなかった。

「何ニヤついてるんだよ」

勇次は助手席の敏樹を見てからかう様に言うと、敏樹は優しい表情で胸元を見た。

「いや、たまにはこういうのも、悪くないかなってさ」

初めてこんな小さい命を抱き、その温もりを愛おしく感じる。
普段ならじゃれついてきたその仔を何とも思わなかっただろう。
だがこうして雨の中出会って、見捨てる事も出来なかった。きっとあのままだったら寒さで死んでしまっていただろう。
何故だかわからないが、抱き上げたこの子を離せなかった。


その後署に戻ると案の定薫や瞳がその可愛さに歓喜した。
一応「拾得物」として保護したはいいものの、野良だとしたら貰い手が居ないと困るので相談しようと思っていたのだが・・・。
人慣れしているのかこれだけ騒いでも怖がったりする様子は無い。
もちろんその可愛さに大騒ぎになり、近藤も注意しようと思ったが、その可愛さに近藤すらもしっかりやられてしまったようだ。
課員達も同様、すっかりその仕草や表情にやられてしまった。
しかしこのままではどうしようもない。

「とりあえず牛乳でもやればいいのかな」

勇次が牛乳を持ってきて小皿に注いで子猫の前に置こうとしたその時だった。

「大下さん!それはダメですぅー!!!」

聞き慣れない女性の声が聞こえたと思ったら牛乳入りの小皿を取り上げてしまった。
見ると交通課の婦警だった。
全員が唖然としてその婦警に視線が集中する。

「猫や犬は牛乳はダメなんです。分解するための酵素が無いからお腹壊しちゃったりするのでダメなんです」

ほおー、と全員納得。
だがそれでは今飲ませてあげたりするものが、今は無くなってしまう。

「えーっと、じゃあどうすればいいのかな?」

敏樹が婦警に問いかけると、彼女は子猫を抱き上げて口の中やら尻尾周りやら色々と見ている。

「んー、歯がもう生え始めてますから1ヶ月ちょっとってところですね。ミルクよりもフードでいいと思いますよ。お湯で柔らかくしてあげればいいんです。私やりますよー!」

そういうと彼女は自分のデスクの引き出しから小さなキャットフードの袋を持って給湯室へ向かっていった。

「・・・詳しいなあの子・・・」

勇次が未だ牛乳片手に茫然としたまま彼女を見てそう言った。
まさかフード常備までしているとは思わなかったので他の署員達も驚いていた。


彼女は少ししてから戻ってきて、お湯でふやかしたフードの皿をその仔の前に置くと凄い勢いで食べ始めた。
フードはどうやら試供品に貰ったものをいくつか常備してあったらしい。子猫用なので家に居る猫には必要ないのでそのうち署員にあげようと思ってたという。
食べている最中もなにやら「うにー」やら「にゅー」やら鳴きながら食べているその姿に再び全員やられてしまった。
ペロリと用意した分を平らげるとヨタヨタしながら再び敏樹の手に戻って眠り始めてしまった。

「すげえな、タカはついに猫まで垂らし込んだか」

少し困った様子の敏樹を見て勇次がからかうと、婦警はぷっと吹きだした。

「でもその仔、男の子ですよ」

その言葉に勇次も吹きだしたが敏樹は複雑な表情になってしまった。

「猫や犬は男の子の方が甘えん坊ですよ」

さりげないフォローだったのかもしれないが、あまりいいフォローでは無かった。
だがやはり悪い気はしない。まだ産毛の多いその子猫の存在が妙に心を和ませてくれる。
小さな頭を指先でちょいちょい、と撫でてやると眠りながらも耳をパタパタとさせた。
このままでは仕事もできないと思いつつも、こういう日もあってもいいかと無理矢理自分を納得させた。

結局保護期間中はその婦警や瞳や薫が面倒を見て、保護期間が過ぎるとその婦警の祖母に貰われていった。
どうやらつい最近祖母の元に居た猫が大往生だったが死んでしまい落ち込んでいるので是非、との事だった。
願っても無い話に快諾した。
念のため動物病院で健康診断をしてから祖母の元に送り届けるという。
良かった、と思う反面少し寂しかった。

「なんだよタカ、寂しいのか?」

見透かしたように勇次が言うと、煙草を取り出す。

「まあ、ね。あんなの初めてだったからさ。オレが飼っても世話できないからしょうがないけどな」

珍しい事もあるもんだ、と勇次も煙草を取り出すと、火の付いたマッチが差し出された。
きっと優しい人の元で元気にやっていくだろう。

気持ちを切り替えて捜査に出る。
翌日、車当たりから1人の大学生を逮捕した。
気晴らしにやっていたという。だが実行犯はその大学生ではないらしい。
グループを抜けたがっていた男と付き合っている女性の存在が解り、女性の事で脅してそいつにやらせていたと言う。
分け前もそのグループ内で分け合い、実行犯たるその男には殆ど渡していなかった。
汚いやり口に敏樹は今までの被害者の分までボコボコにして留置場に放り込んだ。
腐った世の中だと思うが、そんな時にふとあの子猫の可愛い寝顔を思い出す。

―――それでも、それほど腐ってはいない・・・かな?

らしくないとは思う。
だがあの温もりはしばらく忘れられそうにない、そう思いながら仕事に戻った。


後日、子猫を貰ってくれた婦警から2枚の写真を渡された。
嬉しそうにあの子猫を抱く老婆の写真と、座布団の上で眠っている子猫の写真。

「名前は、ソラって名前にしましたよ。凄くいい子でおばあちゃんも喜んでます。ありがとうございました!」

そう言って礼をしていった。
敏樹はその写真を嬉しそうに眺めてから、そっとデスクマットの隅にそれを挟んだ。
悪い事ばかりじゃない。
そう、世の中は悪い事ばかりじゃない。
あの可愛い子猫もこの空の下できっと元気でやっている事だろう。