Parallel Lines


温かい日差しの降り注ぐ午後、愛車を署の裏手の関係者用駐車場の一角に滑り込ませ、いつものようにサイドスタンドを立ててエンジンを切った。
時刻は17時。何とか定時前に戻ってくることができたようだ。
ハァ、とため息を吐いてから降りようとすると身体が硬直しててなかなか足が動かない。
どうにかまだ動いている頭を回転させてまずは体を伸ばす。
さすがに腰もズキズキと痛い。
少々ふらつきながら何とかバイクから降りてハンドルロックを掛けてからキーをシリンダーから引き抜いた。
ヘルメットもグローブも外すのが面倒だったのでそのままタンデムシートに掛けてあったツーリングネットを解いて普段なら使わないゼロハリバートンを手に、覚束ない足元で署内へ入っていった。

さすがにこのままの格好では不審者すぎる、と途中ロッカールームでヘルメットとグローブを脱いで中に入れてから刑事部屋に入った。

「只今、戻りました・・・」

消え入りそうな声で敏樹がそう言うと残っていた課員達が気の毒そうな目で迎えた。

「いやぁー災難だったなぁ鷹山・・・」

田中がそういうと、敏樹はハハッと力なく笑いながらバッグの中から分厚い封筒の束をいくつか取り出して近藤の元へ向かう。

「あちらからの資料・・・です」

そう言って手渡す。

「あーご苦労だったなー。とりあえず今日はもう帰っていいぞ。報告書と送検書類は大下にやらせれば問題ないだろう」

近藤なりに気を使ってそう言ったが、報告書も送検書類も今日中に自分で済ませたかった。
どちらも銀星会関連のものだったので自分でやらねば気が済まなかったのだ。そして明日は非番な上に絶対に外せないような予定を既に入れてあったので潰したくない、とある意味必死だった。

「いえ、これから書きますので・・・」

それだけ言うとフラフラとしながら自席に戻ってライダーズジャケットを脱いでデスクに置いた。

「随分と長旅だったみたいだねぇ」

戻ってきた敏樹を勇次が茶化す様に言うが、まともに相手が出来ない。

「東名、新東名、伊勢湾岸、東名阪、名神、中国、山陽、広島岩国、また中国、関門橋、九州・・・往復で2000km以上、25時間走行・・・自己記録を大幅に更新・・・これって旅費と手当出るのかな・・・」

ばったりと突っ伏しながら力なくぼやく様に呟いた。

「大体ユウジが余裕もって書類出してたらオレはこんな苦労せずに済んだんだぞ・・・しかもこんな時期に・・・」
「オレのせいにするなよ。文句言うなら業者に言え業者にィ!」

何故ここまで敏樹が長旅をする事になったのか・・・。
福岡県警に緊急で書類を送らなければならなくなったのだが、コピーではなく本書が必要だということで業者に頼んで送ったのだが・・・何と業者のトラックが途中で事故に巻き込まれ、車両火災でその書類も燃えてしまった。
補償だなんだという前にとにかく燃えてしまった以上は新規に作り直さなければいけない。
データは残っていたのでそれ程再発行は苦労はしなかったが、そこはお役所仕事。あれやれこやと手続きが多く出来上がったのは提出日の夜中。
余裕をもって送っていれば再送で事は済んだが間に合わない・・・ということで仕方なく敏樹が「バイク便」として直で福岡県警に行くことになった。
飛行機を使えば日帰りもなんとか余裕だったのだが、生憎と連休でチケットが取れなかったのだ。
その日の夜中にチケットの手配はもちろん出来ない。キャンセル待ちをする余裕もない。
ならば新幹線自由席でという事になり、さてとりあえずは帰ろうとした時に飛び込んできたテロ予告。
迷惑この上ない事に新幹線の線路上に爆弾を仕掛けたという声明文が警察庁に送り付けられ安全が確認されるまで全線運休となってしまった。
幸いにして既に終電も出た後だったのですぐに被害が出るものではないが、朝までに発見されない場合は間違いなく間に合わない。
最終的に高速道路で、となったのだが当然道路も大混雑だった。
仕方なく渋滞地点は路側帯の走行を許可してもらったので何とか回避はしたが、緊急車両ではないため周りの目が痛かったのは言うまでもない。

書類を渡して一泊したい気分だったが「ついでにこれを」と渡された資料がある上に翌日の予定もある。資料を手にそのままとんぼ返りしてきた。
上りは一部を除いて渋滞はなかったのでスムーズではあったが、さすがに片道1000km以上というのはかなり厳しい。
正直後で業者にバイク運送を頼んで飛行機か新幹線で帰りたかったが余計な出費になってしまう上にしばらく通勤手段が無くなってしまうのも面倒だったので、こうしてまた同じ道で帰って来たのだった。

「でも思ってた以上に早かったですね。休憩入れなかったんですか?」

瞳がぐったりとした敏樹にコーヒー持ってきながら問いかけると、体を起こしてまだ凝り固まってる身体を解しながら答える。

「何回かはしたさ。でも給油ついでにトイレと飲み物くらいだよ。一度乗り始めたら止まるの面倒なんだ」

バイクは一度降りるとメットを外したりだのなんだのと意外と面倒な事が多い。それに何度も休憩を取っていてもリズムが狂って余計に疲れてしまう。
結局は必要最低限のポイントで少々の休憩のみで走るしかない。その方が効率的であった。

「まーまー、悪かったなタカ!今度奢ってやるから、な!」

機嫌取りとばかりに肩を揉んだりとするが、今の敏樹はとにかく自分の書類を仕上げなければならないという事しか頭に無かった。
引出しから用紙を取り出して、まずは報告書から仕上げようとした。

その様子を見ていた勇次がボソッと呟く。

「タカ、お前また何かやったのか?」
「何がだ?」
「・・・それ始末書用紙・・・」

デスクに置かれた用紙を指差して勇次が言うと、しばらく敏樹は考え込むようにして勇次の指差した用紙を見詰めた。
ようやく気付いた様子でそれをしまってから新たに今度はちゃんと報告書用紙を取り出した。

―――ガチだったのかよ!

勇次は少し驚いて改めて敏樹を見た。
目が半分閉じかかっている。
こんな状態で書類を書いても訂正だらけになって余計に仕事は進まないだろう。

「タカー、少しでいいから仮眠室で休んで来いって。課長だって今すぐ出せなんて言ってないんだし・・・」

しかし敏樹は勇次の気遣いには答えなかった。
というよりも今目の前の惨状に勇次の声が届いておらず答える事が出来なかった。

「クソッ。なんだよこのボールペン・・・インク漏れ酷え・・・」

確かに字を書こうとするとインクが紙に浸み込んでいく。

「鷹山さーん」

勇次が呆れたように敏樹の肩を叩くと、その「ボールペン」を少し乱暴に置いて振り返った。

「なんだよっ!」
「それ・・・筆ペンじゃね?」

また勇次が指差したソレをじーっと見つめた。
しばらくそれを見詰めてから、ボールペンだと思って取り出したその筆ペンにキャップをして引出しから今度こそはボールペンを取り出す。
汚れた報告書用紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨ててまた用紙も取り出した。

「だから、タカ・・・」
「なんだよっ!今度はちゃんとボールペン・・・」
「お前は赤ペン先生か?赤ボールペンで何を書くつもりだ?」

またまた勇次が指差したそれを見詰めた。
半分しか開いていないような目でじっと見詰める。しばらくしてようやくそれが勇次の言うとおり赤いボールペンだという事に気が付いた。
課員も「あー・・・」という目でその様子を見ていた。
完全にボケていた。
一睡もせずに1日以上かけて帰って来たのだから当然であろう。

勇次はポンっと敏樹の肩を叩いた。

「タカ」
「・・・・何?」
「寝ろ」
「・・・・うん」

そう答えるとそのままバタン、とデスクに突っ伏して一瞬のうちに眠ってしまった。

「お、おい鷹山!せめて仮眠室に行って・・・」

近藤がそう言うが既に遅かった。

「課長ー、無理です。タカさん完全に熟睡してますよー」

通り掛かってその様子を見ていた薫が敏樹の頬を人差し指でプニプニとつつきながらそう言うと、近藤も呆れた様子で仕方がないと言った様子で放置することにした。

「さすがの先輩もやっぱ往復2000km以上は堪えたみたいですねー」

透もその様子を見ながら苦笑いしていた。

「意地張らないで仮眠室行くなり一度帰れば良かったのにねぇ。そんなに明日の予定が大事だったのかしら?」

薫は滅多に見れない敏樹の寝顔を観察するように呟くと、勇次は引出しから報告書用紙を取り出しながら煙草に火を付けた。

「ホントはオレが非番だったんだけどな。変わってやったんだよ。明日は大事な日らしいからな」

事情を知っていたが勇次は必要以上の事は話さなかった。
敏樹には悪いと思いつつ報告書と送検書類を書き始めた。

その後3時間程熟睡してからふと目を覚ました。
デスクで寝ていたため疲労もまだまだ回復していない状態で頭が働かない。
気が付くと背中に毛布が掛けられていた。

「瞳ちゃんがお前が寝入った後すぐにかけてくれたんだぜー。後で礼言っとけよ」

不意に背後から声が掛けられると、勇次が丁度送検書類を書き終えて一服していたところだった。

「・・・んー」

まだ寝惚けた様子で身体を起して大きく伸びをしてからあくびを噛み殺した。
署内は静まり返ってきた。当直の透以外は帰ってしまったようだ。
透も先程酔っ払いの騒ぎの通報があり警邏課の警官と共に外に出ているという。

ふと勇次のデスクの上の書類が目に留まった。

「あ、ソレ・・・」
「銀星会関連だしお前が逮捕したヤツのだけど、その調子じゃ無理だろ。それに明日は・・・ある程度は体調整えてから行った方がいいだろ?」

勇次が咥え煙草でニッと笑うと敏樹も静かに笑い、煙草を取り出すと勇次がZIPPOを差し出した。
火を付けてゆっくり吸い込んで紫煙を吐き出す。
ゆらゆらと漂う紫煙を眺めていると眠気も少しずつ覚めてきた。

「まさか妹から連絡があるとは思わなかったよ。もう日本には戻らないって言ってたんだけどな」

数日前、突然入った電話。もう何年も話していなかった妹からだった。
両親の命日が近いから帰国して墓参りに行きたい、と言われた時は少し驚いた。
だが唯一の肉親である妹を無下にもできず、それに付き合う事にした。
相変わらず仕事で忙しいらしいので帰国も「仕事の関係」らしい。

「ま、久しぶりに妹さんと会ってゆっくりしてこいよ。次いつ会えるか解らねぇんだろ?」
「ゆっくり話す事なんざ何も無いさ。どうせまだ刑事なんてやってるのかってうるさく言ってくるだろうからな」

デスクに片肘をつき遠い目をして敏樹が言うと、勇次は書き終えた書類を近藤のデスクの上に置いた。
勇次にも未だ同じように口出しをしてくる兄弟が居るので少々耳が痛い思いがある。

「悪かったな、色々面倒かけて」

勇次が帰り支度をしながら敏樹に言うと「晩飯1回分な」と答えた。

「ハイハイ了解。じゃあな。お疲れっ!」

ジャケットを羽織って帰路につく勇次を軽く手を振って見送る。
少し寝たおかげで帰る分くらいの体力は戻ったようだ。
灰皿に吸殻を押し付けてもう一度ゆっくりと身体を伸ばして敏樹も帰り支度を始めた。
立ち上がって毛布を畳み、ライダージャケットを指に引っかけて刑事部屋を後にした。

静寂が訪れた刑事部屋に紫煙がまだ少し、名残惜しそうに漂っていた。