With feeling SIDE-T


今日も呼び出しがかからないように、と祈って携帯をポケットに入れてキーを差し込んでセルを押した。
非番の日にこうしてエンジンを掛けるのと出勤でエンジンを掛けるのとはどうしてこうも気分が違うのだろうか。
少しだけアイドリングをしてからサイドスタンドを払ってクラッチを握ってギアを1速に落としてマンションの駐輪場を出た。

たまにはいいだろうと第三京浜を少しだけ走り、やってきたのは昔からのいきつけのバイク屋だった。
駐車場に愛車を置いて中に入ると店の社長と店長が笑顔で出迎えてくれた。

「お久しぶりー鷹山さん。今日はオイル交換とタイヤ交換だよね」
「うん、ヨロシク」

そう言ってキーを渡すと、メカニックの店員が表に置いてある愛車をピットへと押していった。
カウンターに座ると淹れたてのコーヒーが運ばれてくる。
長年世話になっているのもあって気兼ねなく何でも話せる。もちろん仕事の内容は無理だがそんな野暮な事は聞いてこない。

「タイヤは結局どうしようか。一応鷹山さん好みだとコレとコレがオススメかな。どっちも在庫あるよ」

目の前にタイヤメーカーのカタログを2社分、出してくれた。
オイルはメーカー推奨のものに決めていたがタイヤに関してはずっと迷ったままで結局行ってから決めようと事前に話をしていた。
出された2つの銘柄はどちらも好みだったが、最近はどうもフィーリングが変わってきたのでまた悩んでいる。

「今までのは良かったんだけど、この間交換してから何か・・・イマイチなんだよね。接地感が伝わってこなくってフワフワしてて。GPみたいに滑らせて走るの前提っぽい感じがする」
「結構そう言ってるお客さん増えてるね。今度出たこっちの方、評判いいよ。サーキット走行でもいい具合だし割合とロングライフだって」
「そっか・・・。じゃ、今回はこっちにしておこうかな。前後交換で」
「解りました。ピットに伝えておくね」

社長は丁度店内に来ていたメカニックの店員にタイヤの銘柄を伝えた。

「で、鷹山さん・・・今度こんなの出ましてね・・・」

社長がニッコリと笑ったのを見て敏樹の笑顔が引き攣った。
大体この社長がこうしてニッコリと新製品の情報を出してくるときには「良いモノ」であり敏樹を悩ませるモノだったりする。

「前に欲しがってましたよねー、ホラ、Arrowのスリップオン。入ってきたよ〜」

でんっとカウンターに実物が置かれてしまった。

「丁度あるよ在庫がっ!さあどうします?」
「どうします、じゃないよ社長っ!」

いつもこうだ。
前に乗っていた車両はタイヤ交換に来たら「良い車両でましたよ〜」と言って今の車両を試乗し、ついつい口車に乗って買ってしまった。
もちろん悪い買い物じゃなかったので良かったが、ここの社長・店長共に非常に商売上手であった。
思わず「いいなぁ」なんて一言でも言ったらこうして実物が現れる。
しかし強要するような薦め方はしないのでそれは良いのだが、実に宣伝がうまい。
こうして何人もの「被害者」が出ている・・・が、もちろん粗悪品を売りつけたりするわけではないしアフターケアも万全なのでまたそれも困った問題である。

「あ、鷹山さん丁度良い!実物つけてる試乗車ありますから!ついでにブレーキマスターも変わってますからちょっと交換時間に体感してみてはどうでしょう!」

横からまたニッコリと笑って今度は店長がやってくる。
まさしく負の連鎖であった。
しかし興味が全く無い訳ではない。

「・・・じゃあ、ちょっと試乗・・・」

試乗コースは熟知していたのでサッと軽く乗って「考えておくよ」と言うつもりだった・・・しかし。

「どう?」

試乗から帰って来た敏樹を明るく社長が迎える。

「・・・いくらだっけ?」
「え、ブレーキマスターも交換しちゃう?」
「鬼ですかっ!!」

ちょっと考えておくつもりがあまりのフィーリングの良さにすっかり惚れ込んでしまった。
しかも車検対応品と来たものだ。ここまで吹け上がり方が敏樹の理想的なものだったとは思わなかった。
カウンターに戻るとカタログが置いてある。そこにしっかりとパーツ価格が出ている。
またその金額に頭を悩ませる。払えない金額ではない。

「大丈夫っ!こんな事もあろうかとこの後のピットの予定空いてるから!」
「そうそう、鷹山さんナンダカンダで絶対気に入ると思ってたから」
「・・・計画的犯行だコレは・・・」

店長と社長のコンビネーションプレイでいつの間にか電卓にはパーツと工賃が叩き込まれて目の前に出されていた。
その金額も再び頭を悩ませる結果となった。

「・・・ボーナス払いできたっけ?」
「もちろん。今日中に交換出来ちゃうよ」
「・・・・・・うん、やっちゃって」
「はーい、お買い上げありがとうございます」

普段は衝動買いは滅多にしない主義だったがこういったところで弱い。
しかしいずれは欲しかったパーツなので後悔はしていない・・・つもりだった。
そう思っていた敏樹に追い打ちがかかる。

「そうそう、来月にFISCO本コースの走行会あるけどどうする?」
「・・・・参加します・・・」

オイルとタイヤ交換のはずが思わぬパーツ交換をも招いてしまった。

―――だから勝てないんだ、この社長には。

少しだけため息を吐いてからその愚痴を社長に溢し始めた。