Keeps Me Runnin'


午前5時。
東の空は既に朝焼けに染まっていた。
早起きな小鳥たちの声が静かな住宅街によく響く。

―――さすがにちょっと寒い位・・・かな

いつも着るシャツやスーツの代りに、今日は革Gパンにラフなシャツ、その上からメッシュジャケットを羽織ったが朝方とあってこの格好では少々寒い。
だが春秋用のジャケットでは多分昼頃には暑さでバテるのは目に見えている。
本格的に陽が登ってくればかなり暑い。微妙な気候だがこのくらいでちょうどいいだろう。
手には革のショートグローブとフルフェイスのヘルメット。
いつものように身支度を整えて、いつものようにベルトポーチを身に着ける。
ハンドルのステーに小型ナビを取り付ける。しかし電源はまだ入れない。
ヘルメットを被り、しっかり顎紐を確認してからグローブを装備する。
何かと乗り出す前は準備が多いし装備品も普段着にはあまり使えるものではない。
だがこれが面倒だとは思わないし、装備品への出費も別段惜しむ事は無い。
とは言っても無駄に高いモノは買わない。



ハンドルロックを解除して愛車を駐輪場からそっと押して歩く。
公道走行可・車検対応品とは言え、純正品から社外品のフルエキゾーストで変えた排気音はこの時間には少々うるさい。
近所迷惑になってはいけない、とエンジンを掛けぬまま跨り、サイドスタンドを払ってから下り坂をゆっくりと降りていく。

大通りにでたところでようやくキーを回す。
独特なキュイーン、とモーター音がしてメーターが動き出し、各電装系や電子制御部分の異常が無いか診断をする。
診断と言ってもほんの数秒で終わり、既にエンジン始動準備完了だ。
クラッチを握ってセルボタンを押すと、スターターが勢いよくエンジンを始動させた。
この瞬間が敏樹は気に入っていた。
身体全体にエンジンの鼓動が伝わってくる。
今日もエンジン音も排気音も異常は無い。

ナビの電源をオンにして、Bluetoothのインカムのペアリングを確認してから再びクラッチを握ってギアを1速に落とす。
どうしてもNから1速に落とすとギアが大きな音を立てる。だが故障しているわけではないし、この音もまた、気に入っている。
僅かに聞こえる程度の音楽とナビの音声が耳に入ってくる。

―――さて、今日はどこにいこうか

昨夜のうちにガソリンはしっかり満タンにしておいた。
ショートツーリングなら1タンクで十分だろう。警告灯が点いたら早めに給油すればいいだけの話。
あまり山奥に行ってしまうと見付からないが、心配する必要は無い。

何となく、西に向かいたくなった。
最近随分と行ってないような気がして、気の赴くままノープランでまだ交通量の少ない道をゆっくりと走り出した。
プランは行く道で考えればいい。
あそこも行きたい。ここも行きたい。
色々と行きたいスポットが頭を巡り、そのスポットへのルートが構築される。
それでいい。行き当たりばったりの旅も楽しいものだ。

県道13号を平沼橋を抜け、浅間下、三ツ沢を通過して横浜新道へ入り、小田原方面を目指す。
いつもなら国道246号方面へ向かい東名青葉I.Cから厚木I.Cで降りてそのまま小田原厚木道路へと向かうつもりだったが何となく別の道を行きたくなった。
しばらく国道1号線を走ってから、茅ヶ崎駅付近はいつも混むので新湘南バイパスへと進む。

少し前までは料金所でグローブを外して小銭を・・・と、どうしてもモタついてしまっていたが、今はETCがあるからかなり楽だ。
カードの入れ忘れと有効期限さえ気を付けていればそのまま通過できる。
新湘南バイパスを終点まで行くと国道134号線、もう海が見えてきた。
平日なのもあってさすがに空いていたのであっさりと西湘バイパスへと乗り込めた。
湘南の海を見ながら、いつもならば一気に西湘P.Aまでかっ飛ばすが、今日はゆっくりと海風を楽しむ。

晴れていて遠く伊豆半島までよく見える。
今日みたいな日くらいはストレス無く走りたい。
制限速度をほぼ守りながら背後から昇ってくる朝日が背に当たり暖かい。
陽の光に反射した海の眩しさに少し目を細めて視線を前方に戻す。
箱根の山を見ても雲はかかっていない。

自動車専用道路に入ったので少しだけインカムの音量を上げる。
愛車のエンジン音や排気音も楽しみたいからこっそりと微妙に聞こえる程度だ。
機嫌の良さに思わず小さく歌を口遊んでいた。


西湘P.Aに着いて二輪用の屋根付き駐輪場にバイクを停めてナビとインカムを切ってからヘルメットを脱ぐ。
途端に頬を撫でる潮風を吸い込み目を閉じる。
ハマでの潮風とはまた少し違う、湘南の潮風の香り。

―――潮風は良いけど、帰ったら軽く洗車しないとな

放置すれば錆が出てしまう。その前にサッサと洗い流してしまうのが一番いい。
ヘルメットをミラーに掛け、グローブをハンドル周りの空いているところに適当に置いて海を眺めながらポーチから煙草を取り出す。
前に来た時と変わってない。
目の前には海。よく見れば大島も見える。
右側には小田原、伊豆半島。左には今通ってきた国道134号線が江の島、横須賀まで見える。
改めてパーキング内を見ると、チラホラと同じようにツーリングで来ている人達も居た。

休日の朝となれば伊豆や箱根方面にツーリングに行く人々で駐輪場は早朝から沢山のバイクで溢れかえる。
車も同様で家族連れが多い。
今日は通勤車両やトラックが数台いる程度。

長居するつもりも無かったので一服だけすると缶コーヒーを1本だけ買ってジャケットのポケットへ入れてから愛車の元に戻った。
さてここからどう行こうか。
愛車に跨ってキーだけ差し込むとしばらく考え込む。
ターンパイクに行ってもいいし、箱根新道を行くのもいい。
駅伝コースの通りに再び国道1号線をそのまま行くのもいい。
大観山のビューラウンジに寄ってから椿ラインを下るのも悪くない。

だがそれだと伊豆方面に出てしまう。
伊豆方面に行ってたっぷりと伊豆スカイラインを走るのも悪くないが、最近二輪事故が多いと聞く。
走りやすく景色もいいのだが、事故が多発しているとなるとバイクで行くと少々肩身が狭い。
伊豆方面はパスしようと決めた。

何パターンかあるルートの中で、どうもしっくり来ない。

―――久しぶりに、あの道を行くか

ふと浮かんだルートを再確認して再び装備を身に着けて走り出した。

西湘バイパスを終点まで走り、小田急箱根湯本駅の手前で橋を渡る。
箱根新道と並走する旧東海道だった。
しばらくは回転数を落として速度もゆっくりにして走る。
周りは温泉宿も多く、朝から100dbの音で突っ切るのも申し訳ない。
回転数も落とせば音は大分変る。

温泉街を抜けてからはいよいよ登りのワィンディング。
辺りは民家も宿も無い。
少しだけ遊びたい、とギアを1速落としてあくまで無理しない程度の速度とバンクでワィンディングを楽しむ。
前方の道に砂利が浮いていないか等路面状況や交通状況を確認しながら走る。
スムーズに右へ左へ荷重移動しながらつづら折りのその道をアクセルとブレーキでコントロール。

途中割合と有名な茶屋が見えてきたがこの時間ではまだ営業していない。
少し残念に思いながらも茶屋を横目で見て走り抜ける。

―――何年振りかな、この道・・・ここも変わってない

そこら中の風景が変わる中、かつて走った道が変わっていないのは果たしていい事なのか悪い事なのか。
ただこの周辺はあまり変わって欲しくない場所ではあった。
少しだけノスタルジーに浸りながら、当時を懐かしみ、走る。

登り切ってからまた分岐点。
眼前に広がる芦ノ湖を見て自然とそのまま芦ノ湖方面には下りずに湖尻方面へと向かう。
途中千石原を横切る。ここは秋になると紅葉も綺麗だし、風になびく沢山のススキもまた情緒があっていいがまだまだその季節は先だ。
開けたそこから見る富士山もまた、なかなかの絶景だった。
紅葉の季節で無い事を少し残念に思いながら通り過ぎるが、この季節にはこの季節で沢山見どころはある。
標高が上がってきて澄んだ冷たい空気を身体全体で感じながら旧長尾峠に差し掛かった。

ここも変わってない。
道幅がしょっちゅう変わり、更にブラインドコーナーも続く。
インカムの音量を一気にミュートにして対向車の有無等を予測しながら、スムーズにコーナーを抜けていく。

この先に、目指すところはあった。
今までどこも変わっていなかった。
だからきっとあそこもそのままの姿で・・・。



そう思った敏樹の期待は見事に裏切られた。

「あー・・・・・」

目的地に着いてから残念そうにその古びた建物を見つめた。
峠の茶屋だった。
見た目には今にも崩れそうな崖の上からせり出した建物で、その隣には見晴台。
脇には登山道の入口もあり、かなり昔ではあるがバスも走っていた。

その名残で「峠の茶屋」というバス停もあったのだが・・・。
完全に廃業してしまったそれを見てため息を吐いた。

―――さすがに、ここはダメだったかぁ・・・

見晴台も立ち入れないようになっている。
残念に思いながらも、立ち入り禁止となった見晴台前で缶コーヒーと煙草を取り出し、景色と古びた建物を見つめた。
昔来た時は年配の女性が一人で切り盛りしていたと思い出す。
丁度来たのもこの時期だった。
突然の雹に見舞われてここで雨宿りして、寒さと疲れで確か汁粉を頼んだ。
トタン屋根にバチバチと当たる雹に、更には目の前のゴルフ場に落雷で窓がビリビリと震えた。
せっかくの非番だったにうんざりしながらも店内にただよう餅の焼ける匂いが妙に香ばしく、温かかった。
雹と春雷で騒がしくもあったが、店主の女性と様々な話をして、うんざりした気分も晴れた。
途中、登山客も避難してきてその客らも会話に加わる。当たり障りのない会話だったが妙に楽しかった。
廃墟と化してしまったその建物を見ながら思い出に浸る。

―――残念だな・・・

紫煙をため息と共に吐き出す。
ここからの景色は好きだった。
またあの店主の、笑顔が素敵な年配の女性に会いたかった。

しばらくすると遠くからバイクと思われる音が聞こえてくる。
徐々に近づいてくるそれは、敏樹の愛車から少し離れたところに停まって、先程の敏樹と同じように建物を見ていた。
ヘルメットを脱ぐと明らかに自分よりも年上の男性だった。

「やあ、こんにちわ」

気軽に声を掛けてきたので敏樹も笑顔で挨拶返す。

「いやー、久しぶりに来たんですけど、ついに無くなっちゃったんですねぇココ・・・」

残念そうに建物を見上げるその男性が言うと、敏樹も答えた。

「ええ、私も久しぶりに来たんですけどね。残念です」

どうやら同じ境遇のようだった。
その男性も煙草を取り出し、敏樹の横に少しスペースを開けつつ並んで一服し始めた。

「仕事で海外に行っててしばらく来れなかったんですよ。最後に来たの・・・かれこれ5年・・・いや、それ以上かなぁ・・・」

聞いた訳でも無く男性は話し始める。
敏樹はそれを面倒だとも思わない。むしろ進んで耳を傾ける。

普段なら馴れ馴れしい、鬱陶しい等思ってしまうがツーリングに来ている時は別だ。
ただバイクに乗っているだけ。
メーカーも何も共通していなくてもただライダー同士というだけで見ず知らずの人とも何故か自然と話が盛り上がる。
ライダーにしか解らない、見えない繋がりだった。
稀に鬱陶しい人物もいるのは確かだが・・・この男性はそんな雰囲気を微塵も感じさせない。

「私も平日しか休みが取れない上に、仕事が忙しくって。久しぶりに来てみたらこんな状態で」

そのままその男性と小一時間話し込む。
さすがに自分の職業は明かせなかったがなかなか楽しかった。
相手の男性も職業等素性は聞かない。
ただ互いの愛車の話やこの周辺の思い出やスポットの話をするだけで随分と話し込む。
まるで友人同士のように。

「じゃあ、僕は行きます。お気をつけて」
「ええ、あなたもお気をつけて」

そう言って景色や話を堪能したのであろうその男性は去っていく。
名前も最後まで知らないまま、名刺交換をする訳でも無くただ会話を楽しんで、別れる。
そういうのもまた、久しぶりだ。
男性を見送り、敏樹も身体を伸ばしてまた、愛車に跨る。

―――変わらないものも多かったけど、やっぱり変わるものは変わっていくか・・・

そう思いながらまた、エンジンをかけた。

このまま御殿場I.Cから横浜へ戻ってもいいし、山中湖方面へ抜けて道志方面に抜けて道志みちで帰るのもいい。
疲れたら相模原方面まで出てから圏央道に乗って東名へ戻ればいい。
逆に中央道まで行って首都高経由で戻るのもアリだ。

気の向くまま、風の赴くまま、走る。このまま帰路に着くにも自然にルートは無限に広がる。
余計な事は考えなくていい。

署から電話が掛かってくる事も無く、そのまま非番をたっぷり楽しんで家路についた。



翌日、勇次が珍しく先に出勤していた。
短く朝の挨拶を済ますと、敏樹はいつものように新聞を広げる。

「なんだよ、妙にスッキリした顔しちゃってー。さては昨日の非番は随分とお楽しみだったみたいだなー」

勇次がコーヒー片手に話しかけてきた。
彼の言うところ・思うところの「お楽しみ」とは恐らく違うだろうが・・・

「ああ、随分楽しませてもらった。久々に、な」

そう意地悪そうに言うと、瞳が運んできてくれたコーヒーを一口飲む。
悪びれた様子も無くあっさりと言い切られて勇次が拗ねた。

「いいよなー。で、どんな女だ?姉妹とか居たら紹介してくれよ」

完全に勘違いしている勇次を横目で見て軽く笑う。

「アグレッシブで情熱的。扱い易い・・・と思うと痛い目に遭う。でもまだ付き合いが浅いから解り合えるにはもうちょっと、かな」
「どこで引っかけたんだよー教えろ!」

敏樹の思わぬ反応に勇次が食い付く。
その後ろで透もしっかり聞き耳を立てていた。

「内緒。付き合いたいんだったら色々金掛かるぜ。お高いヤツなんだ」

クックと笑いながらそういうと、勇次の頭の上にはてなマークがぽぽぽぽ、と浮かぶ。

「・・・随分お高い女だな。でもタカがそれ程惚れ込むってのも珍しいな」
「ああ、確かにお高い『女』だよ。こちらの出方次第で手が付けられなくなる」

透の聞き耳にも気付いていたので、意地悪したくて敏樹はそれ以上は何も答えない。
相棒のその様子をもう少し楽しみたい。

「写真とかねぇの?勿体ぶるなよ。お前ホントそういう時は性格悪いなっ!」

駄々っ子のように敏樹の椅子の背もたれを掴んでガクガクさせるその様子がまた面白い。
だがこれ以上やると面倒だと思ったか、こっそり耳打ちしてやると、一気にトーンダウンしてしまった。

「・・・それってお前の愛車・・・なんだよー女じゃねーのか・・・つまんねぇー!!」
「つまらなくて結構。お前にゃ解らん楽しみってものがあるんだよ」

拗ねている様子もまた、面白い。
というよりコロコロ変わるその様子がいつも面白かった。
不意に目の前に手が差し出されていた。

「・・・なんだ、この手は」
「ツーリング行ったんなら、ほれ土産。土産よこせ」

ちゃっかりしてる・・・そう思って呆れて勇次を見るが、土産モノを期待して目を輝かせている。
その手の上に読みかけの新聞を畳んで置いてやると益々拗ねた。

「なんだよ、土産なしかよー。冷たいなータカは」
「お前な、休暇取ってロングツーリング行ったわけじゃないんだぞ・・・」
「ちぇっ・・・つまんねーの」
「ユウジ、いつまでも拗ねて無いで警邏行くぞ。昼飯くらいは奢ってやるから」

拗ねる相棒を宥めるのには昼飯くらいでいいだろう。
案の定それですっかり機嫌が直るのだから楽なモノだ。
というより素直すぎる反応がまた、更に面白い。
もう何年もコンビを組んでいるが、飽きない相棒と共に今日も一日仕事に励むのだった。