Tears In Heaven


「突然死んじまうって、どんな気持ちなんだろうな」

張込みの車の中、突然前置きもなく勇次がボソッと呟く。
助手席にいた敏樹は一瞬勇次の方に目をやるが、何も答えずまた前方を見据える。

「大好きな人や家族に、別れも言えないんだよな・・・」

こういった仕事をしていると、そういう被害者が多い。
所属している部署以外でも、そういった事が多い。

事件・事故・・・。

普通に暮らしていて、いつも通りに家を出て、帰ってきて家族と談話して風呂に入り寝て。
そんな繰り返しの生活の中でも変化は生じる。
だからこそ、生きる。
普通に朝起きて、普通に出掛けて、普通に帰ってきて、普通に家族と話、普通に寝る。
当たり前の積み重ねこそ、幸せなのだ。
例え退屈でも。

それが突然誰かの悪意によって絶たれてしまったら。
その喪失感や悲しみは一体誰が埋めてくれるのだろうか。

「・・・オレ達に出来る事は、これ以上犠牲者を出さない事だ。それ以上は・・・」

できない、敏樹はそう言いたかったが言葉に詰まる。
敏樹自身も経験があった。
もちろん勇次にも。
遺族が冷静でいられるわけがない。

現実が受け止めきれずにただ茫然とする人。
悲しみが暴走してしまう人。
喪失感の大きさに自分を保てず、後を追う人。

様々な事が起きる。
刑事に出来る事は、少ない。
被害者遺族に会う事でその悲しみをより一層深めてしまう事だってある。
だからこそ許せない。

ここ1週間、学校・会社からの帰宅中の若い女性を狙った通り魔が多発していた。
すでに被害者は3名。
内1人は10代で、進学先も決まり前途洋々とした未来が待っていた。
その家族が幸せだったかどうかは知らない。
ただ、被害者の身辺調査を進めると、彼女等には突然命を奪われるような生活等とは無縁の、ごく普通の人達であった。

暴行の痕跡等は一切無く、凶器はナイフ。だが詳細はなかなか掴めない。
共通しているのは、いつも犯行が月曜日だということ。
報道でも大きく取り上げられていて、市民に情報提供を呼びかけているが今のところ有力な手がかりが無い。

だからこうして、張込みをして不審者を片っ端から挙げていくしかない。
港署管内で2件、隣の署の管内で1件。
付近の警察の刑事達はこれ以上の被害者を出してはならないと必死の捜査を続けているが、今のところ網には何もかからない。



「・・・余命宣告とかあるならさ、心の整理は多少、できるんだろうけどさ・・・」

勇次は独り言のように呟く。
それでも「死」というものは辛い。
人間いつかは訪れるそれを回避する方法は今のところはない。
だからといって理不尽にそれを奪う事は許されない行為だ。
例え余命宣告があっても、死別というのは辛い。

「だからこそ、これ以上は許してはいけない。絶対ブチのめして、死刑台に送ってやるさ」

敏樹は奥歯を噛みしめて、胸の内に怒りを滾らせていた。

「本当に、出来る事って少ないな、オレ達って」

悲しそうにそう言う勇次。

―――ユウジの悪いクセだ

敏樹はそう思い、煙草をくわえてマッチを擦った。
身元確認のために遺族との悲しい対面をさせた時の悲しみを目の当たりにしてしまい、それから少し元気がない。
こういった事件が起きるといつもの「作業」なのだが・・・機械が相手ではない。
人間を相手にしている以上、その時の遺族の反応は様々だった。
その悲しみに寄り添う事も出来ず、勇次は淡々と「作業」を進めねばならない。
どれだけ辛くても。

勇次はそういった事にどうしても流されてしまいやすい。
お人好し、というのかもしれないが、それではこの職業は続けられない。
しかしそれを短所として、敏樹は見なかった。

悲しみに寄り添おうとする事で、また自分自身も強くなれる。
もちろんたまにそれで足元を掬われてしまいピンチにも陥るが・・・。
それでも事務的に事件を捜査するより、ずっと人間らしい。


「・・・ユウジ、遺族の悲しみに引き摺られるなとは言わない。だけど・・・」

灰皿に灰を落として、一呼吸入れてから勇次を見る。

「オレ達はオレ達の仕事をするまでだ。その気持ちはしっかり、ココにしまっておけ」

そういうと敏樹は勇次の胸の中心に拳を当ててトントンと叩いた。
敏樹も気持ちは同じだった。



車の横を一人歩きの女性が通り過ぎていく。
こんな事件が起きている時に危ないな、と2人ともそう思った。
何気なくルームミラーを見ると、もう1人、男の姿が映った。
・・・胸元に手を入れて、何か光る物を取り出したのが見えた。

「タカッ!」

振り返るとその男は走り出した。
目の前の女性以外何も見えていないように。

車から滑るように素早く降りて敏樹は狙われているだろう女性のもとに、勇次は男の元へと走り出す。
男の手元にあったのは刃渡り15cm以上の鋭いナイフだった。
間違いない、コイツだ・・・。
頭の中で警鐘が鳴り響く。

女性以外の事を見ていなかったそいつは隙だらけだった。
勇次は素早くナイフを叩き落とし呆気にとられた隙に胸倉を掴み、今まで殺された彼女たちの恨みとばかりに拳を叩きつける。
男は笑っていた。狂っていた。

「よ、ようやく来てくれたんだね・・・えへへ・・・で、でも・・・も、も、もっと・・・女を殺したくて・・・ふひひひひひひ」

殴られながらも歪んだ笑顔を絶やさない。
敏樹は襲われそうになった女性にそれを見せまいと、彼女の視界を手で覆う。

「お前が・・・!!!」

その歪んだ笑顔で勇次の怒りはまだ収まらなかった。
大丈夫だから、と覆車に女性を乗せて、敏樹が止めに入るまで勇次は男を殴りつけていた。

「よせ!殺す気か!」

勇次が振り上げた拳を敏樹がガッシリと止めた。

「こいつは・・・こいつは許せないんだよ!」
「お前にはこいつを裁く権利はない!遺族のためにも!司法の手に委ねろ!」

正直敏樹もこの場で殺してやりたい気持ちだったが、それはできない。
法の裁きに委ねるべきなのだ。

まだ収まらぬ怒りをなんとか鎮めて、その男に手錠をうつ。
ホンボシではないかもしれない。
もし一連の通り魔殺人の犯人だったとしたら、取調べをして、裏付けをして、送検をして、警察での仕事は終わりになる。
そう、それで終わり。自分達の仕事はこれで、終わる。
出来る事すら終わってしまう。


翌朝、屋上でいつものように空を仰ぎながら勇次は煙草を吸っていた。

「やっぱり、ここだったか」

敏樹もやってきて手摺に寄りかかり煙草に火をつけた。

「・・・終わったな」

敏樹がそういうと、勇次は無言で頷いた。
それ以上言葉は続かない。
犯人逮捕に世間はほっとしたが、遺族の傷は癒えない。
失われた魂は帰ってこない。

いつも通りだった。
いつも通り、空しさが残る。
それでも。

「それでも、オレ達がやらなきゃ、悲しむ人が増えるんだよな」

勇次は空を見上げたまま、目を閉じる。
敏樹に問いかける言葉だったが、自分に言い聞かせるように呟いた。

「・・・そうだな。事件は、待ってくれないからな」

この事件も報告書とともにファイリングされ、規定の期間が来たら廃棄される。
形としてはもう、既にデータとしてしか残らない。
引き摺るわけにはいかない。



「また銀星会が少し騒ぎ出してる。手伝ってくれるか?」

敏樹がそういうと、フッと笑って勇次は煙草を消す。

「何奢ってくれる?」
「モーニングじゃ、ダメか?」
「やっすいなー、もうちょっといいもん奢れよ」
「いいだろ、気持ちが籠ってるんだからさ」

敏樹は煙草を揉み消して署内に戻る。

「感傷に浸る暇さえ、無いもんな」

それでいいのかもしれない。

「今日も暑いんだろうなぁー」

体を思い切り伸ばして、勇次も署内に入っていく。
真夏の太陽はまだ午前中だというのに容赦なく照りつける。
忙しい彼等の日常が、また始まった。