Story Of My Life Side-Y phase-2

勇次は12歳の時、母親を亡くした。
今でもその時の事ははっきりと覚えている。


「悪いわね勇次、買い物手伝ってもらっちゃってさぁ」

身重の母はそう言ってスーパーの袋の一つを勇次に持ってもらった。

「別にー。かあちゃんももう臨月だろ?家で大人しくしてりゃーいいのに」

妙に大人ぶって、しかし笑顔で母に答えた。
学校帰りにスーパーで母の姿を見つけて駆け寄り、今に至る。
母の大きくなったお腹を見てまた妹か弟が産まれてくるのが楽しみで仕方が無かった。
既に四人の兄弟の長男として日頃から家事やら買い物は慣れていた。
いつも幼い兄弟たちの相手をする母を唯一独占できる時間でもあった。

決して豊かな生活とは言えなかったが、毎日が楽しかった。
兄弟と喧嘩しても両親に怒られても、毎日が充実していた。
そんな中また兄弟が増える。
これ以上の喜びは無い。
勇次はそんな気持ちで母のお腹を見つめていた。
辺りに居た近所の主婦たちもそんな光景を微笑ましく思って自然と笑顔になっていた。

そんな時だった。
母の持っていた紙袋からオレンジが数個転がり落ちてしまった。

「ああっと」

そう言って拾おうとした母を制して勇次は転がるオレンジを追いかけた。
コロコロと数メートル程追いかけて落ちたオレンジを拾ってフーっと息を吹きかけて少し付いてしまったゴミを飛ばす。

「かあちゃんもドジだなー」

そう言って振り返り、母の姿を見ようとした。
いつもの笑顔でごめーん、と言ってくるに違いない。
いつもと変わらない、大好きな笑顔で。

ドォン!という音と共に空気が震えた。
まるで地震のような、一瞬の出来事。

驚いて振り返ろうとしたその時だった。

「勇次君、ダメよ!!!」

誰かがそう叫んで抱き止められた。
何かが起きた事は間違いない。けれども恐ろしいほどに力強く抱きしめられていた。
周囲から悲鳴がいくつも聞こえる。

何がダメなのだろうか。
どうして知らない・・・いや、自分の名前を知っているくらいだ。知っている大人ではあるが抱き止められているのだろうか。
ざあ、と血の気が引くような感覚で足が震えだす。
だが何が起きたか解らないままではいられない。

激しく抵抗してその腕を振り解いて振り返った目の前にあったのは一台のトラックのドアだった。
いや、最初はそれが何か解らず、理解するまでに少し時間がかかった。

何故目の前にトラックがいるのだろうか。
振り返った目の前にいるのは最愛の母だったはずだった。
何が起きたか解らずただただ頭の中は真っ白になっていく。
状況が理解できない。なのに何故足が竦むのだろう。
力が抜けて母に託された紙袋がその腕から滑り落ちた。

「かあちゃん・・・?」

真っ白になっていく頭の中、ただ一言力なくそう呟いた。
鉄臭いような臭いが鼻に着いた。
目の前にある4トントラックは店の外壁にめり込んでいた。
周囲の悲鳴と怒号が飛び交う中、勇次はただただ呆然と立ち尽くしていた。

「かあちゃん!!!」

勇次のその叫びが母を呼びかける。
が、それに答える声は、返ってこなかった。


事故は納入に来た業者のトラックの、ブレーキとアクセルの踏み間違いから起きた。
トラックの運転手は勤務時間を超過し既にボロボロの状態だったという。
勇次の母はトラックと店の間から発見された。
無残な姿だったという。
遺体は棺に納められたが、その小窓を開けることは許されなかった。
というよりも子供達が棺に近付くこと大人達は頑なに拒んだ。

通夜と葬式の期間、兄弟達は泣き叫んでいたがその場にいた勇次はどうしても「母が死んだ」ということを理解できないままでいた。

―――かあちゃんあんなに元気だったのに、赤ちゃんだってもうすぐ産まれてくるはずだったのに、どうしてあんなところで寝てるんだ?

実感が沸いたのは納骨が終わった辺りだった。
誰も居ない台所で。いつも母が立っていたその場所で、声を押し殺して。
溢れてくる涙を拭う事もぜず、ただただ黙って泣き続けた。
もう居ない母を想って。


それから数年経った。
中学も卒業して無事高校にも進学し、見た目には順風満帆な高校生活を送っていた。
時々「あの瞬間」の夢を見て飛び起きたりすることもあった。
しかし家族や、近所の人達の支えもあってそのトラウマも徐々に癒されていった。
だがどこかスレたような感覚がいつも付き纏っていた。
既に煙草も酒の味も覚えていた。
一通りの悪さはした、といったところだった。
生活指導に何度も父が呼び出されてはその度にゲンコツを叩きこまれたが、父はそれ以上多くは語らなかった。
非行がある程度、警察にお世話になる前に止まっていたのはそんな父の背中があったからだった。
勇次は父も尊敬していた。
宮大工としての誇りはもちろん、妻を亡くして一度も涙や弱音を吐かなかったその強さに。
豪快に笑い、時には未成年だというのに勇次や他の兄弟達に酒を飲ませたりと、そういう意味ではあまり良い父親では無かったのかもしれないが、それでも芯の強い父親だった。

そんな父も、勇次が高校に進学した直後に癌が発見された。
発見時に既に手遅れな状態で入退院を繰り返し、2年生に進級した春、静かに眠るように逝ってしまった。

残された勇次と兄弟達は親戚を頼らざるを得なくなってしまったがその親戚間との折り合いは非常に悪かった。
離れ離れになったことさえあった。

その頃から勇次は再び荒れ始めた。
悪い友人も沢山でき、欠席も目立つようになった。
本気でグレた訳では無かった。喪失感をただ埋めたかった。
だが何をしてもそれは埋められることは無く、上辺だけでその悪い友人たちとも付き合っていたという具合だった。

そんな時、1人の中年の刑事と出会った。
地元の少年課の刑事でいつも勇次たちを追い回しては説教を食らわせていた。
ある時その刑事は勇次に問い掛け、何故こんな愚行を繰り返すのかと遠回しではあったが聞いてきた。
最初は「うるせえ」「関係ねえよ」「お節介はご免だ」と突っ撥ねていたが、1人で居た時にまたその刑事に問い掛けられた。
あまりに真摯になってくれているのでポツリポツリと色んなことを話し始めた。
刑事は時には困ったような顔をしたり、笑ったり泣いたりと忙しかったが、勇次がグレていた理由をズバリ言い当てた。
そしてこう言った。

「なあ大下よ。こんな風に俺達みたいなのに追いかけられるより、追いかける方にならないか?」

思わず勇次はポカンとし、何を言っているのか解らなかった。

「こう言っちゃなんだがお前は足が物凄い早い。それに機転も効く。俺達警察官に必要な要素がお前にはあるんだよ。幸い今のところ補導歴も無いしな。俺に感謝しろよ?」

そう、刑事は勇次たちを捕まえても説教で終わらせていた。中には窃盗等もした者も居たのでその者達は連行したが。
ニッと笑ってそう言った刑事に父の姿がだぶり、思わず涙が零れた。
刑事は慌て取り乱したがそんな姿に勇次はただ黙って笑顔を浮かべていた。

その日から猛勉強をし、狭き門であった警察官への道を歩み始めたのだった。